GEOGRAPHY
土地の条件
淀川の河口に近く、大阪湾の東端にあたります。京から川を下って西国へ向かう船は、ここで海に出ました。内陸の都と瀬戸内をつなぐ結節点です。
近世以降の埋め立てによって、海岸線は大きく南へ移りました。当時の浦は、いまの海からかなり内側にあります。
HISTORY
史料で確認できること
史料から確認できること
一一八五年の冬、義経の一行がこの港から船を出して、暴風で船団を失ったことは同時代の記録から確認できます。ほぼ同じ時期に、追討の命令が公のものになります。
この港は、立場が変わる境目として記録に現れます。
STAGE
作者がここに置いたもの
能楽・芸能による表現
能「船弁慶」では、静との別れがこの浦で起きます。物語の版では吉野で別れますが、能は港で別れさせて、同じ場所に平家の霊を呼び出します。
別れと襲来という、性質の違う二つの出来事が一つの浦で続けて起きます。地理を畳むことで、一曲の構造が立ち上がっているわけです。
PLACE
歩く
阪神電鉄の大物駅から歩くと、大物主神社があります。このあたりが船の出た場所と伝えられています。
劇的な風景はありません。ただ、ここが西国への出口であり、のちに灘の酒を江戸へ運ぶ海運の通り道になった湾の東端だと知って立つと、海のない土地の見え方は変わります。
PLACE
現地を歩く
いまの所在
尼崎市大物町
行き方 — 阪神電鉄本線・大物駅から徒歩すぐ。大阪梅田から約 15 分です。
埋め立てが進み、当時の海岸線はいまの市街地より内陸側にありました。港の気配は残っていません。
歩いて見られるもの
- 大物主神社船出の地と伝えられる一帯です。境内に、義経や静御前にちなむ碑があります。
- 尼崎市立歴史博物館海岸線の変化や中世の港について、地域の側から確かめられます。
授かれるもの・持ち帰れるもの
- 海岸線の変化が分かる資料博物館で、埋め立て前後の地形図を確認できます。いま立っている場所が海だったことが分かります。
この案内は、地図・交通機関の公開情報・各施設の公表内容から構成しています。 編集部はまだ現地を歩いていません。したがって、坂のきつさ、風の強さ、 静けさといった体感は書いていません。取材したら、その旨をここに記します。
拝観・開館の時間や授与品の有無は変わります。出かける前に各施設の案内で確認してください。
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