HISTORY
史料で確認できること
史料から確認できること
同時代の日記のなかで義経の動きを追えるのは、兄の挙兵に加わった一一八〇年から、平泉で死んだ一一八九年までです。平家追討の主要な戦いを指揮したこと、そののちに追われる立場になったことは、この範囲で確認できます。
いっぽう、生年は確実ではありません。少年期についての同時代の記述もありません。鞍馬に預けられたという有名な話も、同時代の記録には現れません。
CHRONICLE
後世の歴史記録が伝えること
後世の歴史記録
鎌倉幕府の側でまとめられた記録には、兄との対面、平家追討、そして決裂にいたる経緯が記されています。ただしこれは、勝った側が一世紀近くのちに整理した記述です。
兄弟の対立を個人の感情として読むと、事情を取り違えやすくなります。京の朝廷から官位を受けることが、鎌倉の側から見てどういう意味を持ったのか。対立の輪郭は、そちらから見たほうがはっきりします。
STORY
物語のなかの義経
軍記物語・文学
『平家物語』のなかの義経は、決断の速い指揮者として現れます。合戦の場面に登場して、戦いが終われば退場します。
『義経記』は、それとは別の人物を描きます。合戦の記述はむしろ薄く、少年期と、追われてからの逃亡に多くの紙幅が割かれます。読者が長く付き合わされるのは、勝っている義経ではなく、逃げている義経のほうです。
STAGE
能のなかの義経
能楽・芸能による表現
能における義経の扱いには、ひとつ特徴があります。主役になることが、ほとんどないという点です。
「橋弁慶」「船弁慶」「安宅」のいずれでも、義経は子方、つまり少年が演じます。台詞は少なく、ほとんど動きません。舞台の中心に座ったまま、まわりで別れや戦いや偽装が起きます。
例外は「八島」で、ここでは義経自身が霊として現れて、戦いの記憶を語ります。ただしそれは、勝者としてではなく、修羅の苦しみのなかにいる者としてです。
「橋弁慶」ではさらに徹底していて、牛若は最後まで動機を説明されません。なぜ夜ごと人を斬るのかは語られず、正体が知れるのは名前を尋ねられてからです。
能が義経に与えたのは、英雄の位置ではなく、説明されない中心という位置でした。動かず、語らず、正体も知れません。その造形は、英雄というより異質なものに近いと思います。
その義経を世間につなぎとめる役が、弁慶にあてがわれています。判断し、諫め、祈る側が別にいるからこそ、中心は説明されないままでいられるわけです。
RECEPTION
なぜ繰り返し語られたのか
地域伝承・後世の伝説
敗れた者に心を寄せる感情は、のちに「判官贔屓」という言葉で呼ばれるようになります。義経は、その言葉の由来になるほど繰り返し語り直されました。
近世以降には、平泉で死なずに北へ逃れたという伝説も生まれます。近代には、それをさらに大陸まで延長する説も現れましたが、これは史料に基づくものではなく、その時代の関心を映した後世の産物です。
問いは、ここで向きを変えます。義経とは誰だったのか、ではなく、日本人は義経を何者にしてきたのか、へ。
演目
- 能「鞍馬天狗」鞍馬寺の花見の席で、源氏の子である牛若丸だけが仲間に入れてもらえません。声をかけた山伏が大天狗であることを明かし、牛若に兵法を授けます。英雄譚の出発点に置かれる曲です。
- 能「橋弁慶」五条の橋で、弁慶と牛若丸が出会う一番です。ただし能では、夜ごと人を斬っているのは十二、三歳の牛若のほうで、弁慶はその噂を聞いて鎮めに橋へ向かいます。
- 能「烏帽子折」都を出て奥州へ向かう牛若丸が、道中の烏帽子屋で烏帽子を誂え、名を改めます。その夜、泊まった赤坂の宿を熊坂長範の一党が襲い、牛若がこれを討ち取ります。
- 能「八島」屋島の浦で旅の僧が宿を借りた漁師の老人は、義経の亡霊でした。後半では甲冑姿で現れ、修羅道で戦い続ける身のまま、海に落とした弓を拾いに戻った夜を語ります。
- 能「船弁慶」西国へ落ちる義経の一行が、大物浦から船出します。前半では、都へ帰される静御前が別れの舞を舞います。後半では、海上で嵐に遭った船の前に、壇ノ浦で滅んだ平知盛の怨霊が現れます。
- 能「安宅」山伏に姿を変えた義経の一行が、北国の安宅の関で関守の富樫に呼び止められます。弁慶は白紙の巻物を勧進帳と偽って読み上げ、疑われた義経を自分の杖で打って強力だと言い張ります。歌舞伎「勧進帳」の原型にあたる曲です。
- 能「摂待」信夫の里が舞台です。義経のために死んだ佐藤継信・忠信兄弟の母が、息子たちを弔うため、旅の山伏をもてなしています。その日の客が、当の義経の一行でした。
土地
- 鞍馬京の北、鴨川の水源にあたる山中の寺域です。牛若丸が預けられたとされる場所です。
- 五条鴨川を渡る橋と、その東西の街路です。中世の五条大路は、いまの五条通ではなく松原通にあたります。
- 黄瀬川富士川の合戦の直後、頼朝の陣に義経が加わった地です。兄弟が初めて顔を合わせた場所とされています。
- 屋島瀬戸内に突き出た溶岩台地です。平家の拠点が置かれました。
- 壇ノ浦関門海峡のもっとも狭い部分です。潮の流れが速く、日に四度向きを変えます。
- 大物浦淀川の河口に近い港です。西国へ向かう船がここから出ました。義経の船団が暴風で引き返した地でもあります。
- 吉野金峯山の寺域を抱える山地です。都を追われた人が、繰り返し身を隠した場所でもあります。
- 安宅梯川の河口、日本海に面した砂丘の地です。「安宅」の作者は、ここに関所を置きました。
- 平泉北上川の西、奥州藤原氏三代の拠点です。義経が二度身を寄せ、最後に死んだ土地でもあります。