本文へスキップ
GLOSSARY

このサイトで使う言葉

専門用語を避けるのではなく、使うたびに説明する。それでも足りないときのために、ここにまとめておきます。

記事の右側には、その記事に出てくる言葉だけを抜き出した欄があります。 読みながら目を上げれば済むようにするためで、この一覧はその全体版です。

能の言葉

11
シテして

主役です。面をつけることが多く、舞の中心になります。

一曲の主人公です。霊や神など、人ならざる存在を演じることも多くあります。前半と後半で姿を変える曲では、同じ演者が前シテ・後シテとして二つの姿を演じ分けます。

ワキわき

相手役です。旅の僧や役人など、多くは現実の側の人間が務めます。

シテの話を引き出す聞き手にあたります。面をつけず、素顔のまま演じます。観客はワキの目を通して、非現実の側にいるシテと出会うことになります。

子方こかた

子どもの演者です。少年や貴人の役を受け持ちます。

義経は多くの曲で子方が演じます。台詞が少なく、ほとんど動かないまま舞台の中心に座ります。体格差そのものが、劇の構造に組み込まれているわけです。

直面ひためん

面をつけず、素顔のまま演じることです。

素顔ではありますが、演者は表情を作りません。面をつけたときと同じように、身体と装束で人物を立ち上げます。弁慶は、この直面で演じられる代表的な役です。

間狂言あいきょうげん

曲の途中に入る、狂言方による語りや所作のことです。

筋の説明を受け持ったり、船頭や土地の者として場面を動かしたりします。前半と後半のあいだをつなぐ役割を持つことが多くあります。

小書こがき

特別な演出の指定です。同じ曲でも構成や装束が変わります。

番組(演目表)に小さく書き添えられることから、この名前がつきました。普段は出ない場面が加わったり、装束や面が変わったりします。

夢幻能むげんのう

死者や神が現れて語る形式です。多くは旅の僧が出会います。

前半で土地の者が昔語りをして、後半でその正体が現れて舞います。死者がもう一度語る機会を与えられる形式で、能の中心的な発明とされています。

現在能げんざいのう

霊ではなく、生きている人間どうしの出来事を進行形で描く曲のことです。

「安宅」「橋弁慶」などがこれにあたります。夢幻能と違って時間は前へ進み、事件はその場で起きます。

修羅能しゅらのう

戦いに死んだ武者の霊が現れる曲です。二番目物とも言います。

討たれた武者が、修羅道の苦しみのなかで合戦の記憶を語ります。勝者ではなく敗者が語ることが多くあります。

四番目物よばんめもの

一日の上演で四番目に置かれる、種類の幅が広い曲群です。

神・武者・女・鬼という区分に収まらない曲が、ここに入ります。生きている人間の事件を扱う現在能も多くあります。

道行みちゆき

旅の経路を謡いながら、舞台の上で移動を表す部分です。

地名を順に並べて謡うことで、数百キロの移動が数分に畳まれます。土地の名前が、そのまま時間の単位になるわけです。

人と身分

5
白拍子しらびょうし

歌い舞う女性の芸能者です。男装で舞うことから、この名前がつきました。

平安時代の末から鎌倉時代にかけて活動しました。貴族や武家の場に招かれ、社会の階層をまたいで移動できる立場にありました。静御前は、その代表として語られます。

山伏やまぶし

山で修行する宗教者です。諸国を歩くことが許されていました。

定住しない宗教者として、関所を越えて移動できる数少ない存在でした。逃亡者が山伏に扮するという設定は、中世の移動のあり方をそのまま使っているわけです。

強力ごうりき

山伏の荷物を担ぐ供の者です。一行のなかで、いちばん身分が低い役にあたります。

「安宅」で義経が扮するのが、この役です。主君を最下位の姿にするという設定が、あとの打擲の場面を成り立たせています。

元服げんぷく

成人の儀式です。髪を結い直して、名前を改めます。

幼名を捨てて、新しい名前を名のります。牛若が義経になるのは、物語のうえではこの儀式を経てからです。

稚児ちご

寺に預けられた少年のことです。僧でも俗人でもない立場に置かれました。

有力者の子が、学問や縁故のために寺に入りました。剃髪せず、僧と俗の境目にいる存在として扱われます。能「鞍馬天狗」の少年たちが、この稚児にあたります。

歴史と史料

5
軍記物語ぐんきものがたり

合戦を主題とする物語です。史書ではなく、文学として読みます。

『平家物語』『義経記』などがあります。事実の記録を目的としておらず、語られて聞かれることを前提に作られています。

判官贔屓ほうがんびいき

敗れた者や、弱い立場の者に心を寄せることです。

義経の官職名「判官」に由来します。この言葉があること自体が、義経がどれほど繰り返し語り直されたかの証拠でもあります。

起請文きしょうもん

神仏に誓って、嘘がないことを示す文書です。

違えれば罰を受ける、という形式をとります。能「正尊」では、この文書を読み上げる場面が、そのまま見せ場になっています。

落人おちうど

戦に敗れて逃れた者のことです。各地に落人伝説が残っています。

壇ノ浦のあと、平家の落人が山深くに隠れ住んだ、という伝承が各地にあります。事実かどうかよりも、なぜそう語られたのかを見るほうが実りがあります。

忠義ちゅうぎ

主君に尽くすことです。ただし近代の国民道徳としての用法とは、含みが違います。

中世の主従は、御恩と奉公という双方向の関係で結ばれていました。一方的な献身を求める近代の忠義とは、前提が違います。能を読むときは、この違いを意識しておいてください。

信仰と制度

7
勧進かんじん

寺社の造営のために、諸国を回って寄付を募ることです。

中世には大規模に行われていて、勧進のために芸能が催されることもありました。「安宅」で一行が名のる口実は、この時代の実態に沿っています。

鎮魂ちんこん

死者の霊を鎮めることです。忘れることではなく、語り直すことを指します。

能では、霊を追い払うのではなく、一度舞台に呼び出して語らせ、舞わせたうえで退場させます。その手順そのものが、鎮魂の形になっています。

怨霊おんりょう

恨みを残して死んだ者の霊です。災いの原因を説明する枠組みでもありました。

迷信というより、起きた出来事に理由を与えるための考え方として、広く共有されていました。嵐や疫病が、滅ぼされた側の心に結びつけられたわけです。

丑の刻詣うしのこくまいり

深夜に社へ詣でて願をかける行のことです。人を呪う呪術とは限りません。

後世には呪詛の作法として知られますが、もとは深夜に参籠して願をかける宗教的な実践でした。能「橋弁慶」の弁慶は、この行の途中で事件に出会います。

修羅道しゅらどう

戦い続けることをやめられない世界のことです。武者は死後ここに落ちるとされました。

仏教の六道のひとつです。能の修羅能では、勝った武者も負けた武者も等しくここに落ちます。勝敗と救済が切り離されている点が、大事なところです。

天狗てんぐ

山に住む異形の者です。修行者の姿で現れることも多くあります。

仏法を妨げる魔として語られるいっぽうで、山の修行者と結びついて超人的な技を授ける存在にもなります。能では山伏の姿で現れることが多くあります。

摂待せったい

旅の僧や巡礼をもてなすことです。多くは供養や祈願のために行われました。

食事や宿を無償で提供する行為です。個人の善意というより、死者の菩提を弔うための宗教的な実践として続けられることが多くありました。能「摂待」の題名は、この行為を指しています。