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壇ノ浦

DANNOURAだんのうら

滅びた側は、そのあとどこへ行ったのか。

壇ノ浦で平家は滅びました。けれど能の舞台の上では、そこで死んだ人々が何度も戻ってきます。この海は、能にとって登場人物の供給源です。

いまの所在
下関市壇之浦町
旧国
長門
行き方
JR山陽本線・下関駅からバス、「みもすそ川」下車です。
座標
33.960°N 130.955°E
関連演目

GEOGRAPHY

土地の条件

関門海峡のもっとも狭い部分で、対岸の九州まで七百メートルほどしかありません。

潮の流れが速く、日に四度向きを変えます。船の戦いでは、潮の向きがそのまま有利不利になります。

いまも、みもすそ川公園に立てば水の動きの速さが見えます。海峡というより、幅の広い川に近い場所です。

HISTORY

史料で確認できること

HISTORY同時代史料で確認出典 — 玉葉 ほか同時代の記録

史料から確認できること

一一八五年、この海峡での戦いで平家が滅びたことは、同時代の記録から確認できます。幼い天皇が入水したことも記されています。

この日を境に、義経の立場が変わります。倒すべき相手がいなくなって、鎌倉との関係だけが残りました。

STAGE

ここで死んだ者たちが、舞台に戻ってくる

STAGE能楽上の設定

能楽・芸能による表現

壇ノ浦そのものを主題にした能は、多くありません。ところが、ここで死んだ人物を主人公にした曲は数多くあります。

「船弁慶」の後場に現れる平知盛は、この海で死んだ人物です。ほかにも、平家一門の武将を主人公にした修羅能が並びます。

一つの海戦が、能の登場人物を大量に供給しているわけです。

CONTEXT

なぜ滅びた側が舞台に上がるのか

能の修羅能では、戦いに死んだ武者が霊として現れて、自分の最期を語ります。その多くが敗れた側です。

語ること自体が弔いになる、という考え方が背景にあります。名前を呼び、最期を語らせ、舞わせて、送り出す。曲そのものが、供養の手続きの形をしています。

そう考えると、壇ノ浦が能にとって重要なのは、大勢が一度に死んだからです。弔われるべき死者が、ここで一挙に生まれました。

LEGEND

土地に残ったもの

LEGEND地域伝承出典 — 地域の伝承

地域伝承・後世の伝説

海峡の周辺には、平家にまつわる伝承が多く残っています。落人が山深くに隠れ住んだという話は、西日本の各地にあります。

琵琶法師が平家の物語を語る怪談も、この地を舞台にしています。滅びた一門が、この土地では消えずに居続けているわけです。

事実かどうかよりも、なぜそう語られ続けたのかを見るほうが実りがあります。

PLACE

現地を歩く

いまの所在

下関市壇之浦町

行き方 — JR山陽本線・下関駅からバス、「みもすそ川」下車です。

関門橋の下に古戦場跡があります。対岸の九州までは約 700 m です。

歩いて見られるもの

  • みもすそ川公園海峡の最狭部です。潮の速さを、その場で見ることができます。
  • 赤間神宮壇ノ浦で入水した幼帝を祀っています。平家一門の墓と伝えられる塚があります。
FIELDWORK — 現地取材:未

この案内は、地図・交通機関の公開情報・各施設の公表内容から構成しています。 編集部はまだ現地を歩いていません。したがって、坂のきつさ、風の強さ、 静けさといった体感は書いていません。取材したら、その旨をここに記します。

拝観・開館の時間や授与品の有無は変わります。出かける前に各施設の案内で確認してください。

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LOCATION

旅程のなかの位置
100 km壇ノ浦DANNOURAいまの 下関市壇之浦町

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