烏帽子折
EBOSHI-ORIえぼしおり
名を変えた夜に、少年は何になったのか。
牛若丸は東山道の宿で烏帽子を作らせ、髪を結い直して、名前を改めます。元服です。そしてその同じ夜、盗賊の一党を斬ります。「烏帽子折」の作者は、この二つを切り離さずに続けて置きました。
- 年代
- 物語の年代 — 1174年頃/成立 — 室町時代
- 人物
- 源義経
- 分類
- 四番目物/作者不詳
都を出た牛若丸が、烏帽子屋で名を改めます。その同じ夜、泊まった宿を襲った盗賊の一党を、この少年がひとりで討ち取ります。
- 舞台
- 近江・鏡いまの 蒲生郡竜王町鏡
- 時代
- 平安
- 主役
- 武者
- 形式
- 現在能四番目物
- 01前半、烏帽子屋での場面はほとんど日常の会話で、能らしくありません。そこが面白いところです。
- 02後半、盗賊の一党との立ち回りです。登場する人数が多くなります。
- 03前半と後半で中心人物が入れ替わるので、流派によって構成に差があります。
正直なところ百分ほどと長い曲です。前半が世話物のような調子なので、いわゆる能らしさを期待していくと拍子抜けするかもしれません。
上演時間は流派・小書・演者によって大きく変わります。 確かめられる公演記録が揃うまで、目安の分数は載せません。 ここに書いているのは曲の約束ごとと公開されている情報からの整理で、 特定の公演の記録ではありません。
01 — ON STAGE
まず、能では何が起こるのか
長い曲で、前半と後半で起きることがまったく違います。
前半。金売り吉次に連れられて奥州へ下る少年が、東山道の鏡の宿に着きます。 追手がかかっていると知って、姿を変えることにします。 烏帽子屋に立ち寄って、烏帽子を作らせるのです。
烏帽子屋の夫婦は、注文の品と少年の物腰から、その素性に気づいてしまいます。 妻のほうが源氏ゆかりの家の出だったからです。 少年は髪を結い直し、烏帽子をかぶって、名前を改めます。元服です。
後半。一行は美濃の赤坂の宿に泊まります。 そこへ盗賊の一党が押し入ってきます。頭は熊坂長範です。 元服したばかりの少年が、ひとりで応戦して、長範を討ちます。
前半と後半で中心人物が入れ替わるので、流派によって構成に差があります。 少年を演じるのは子方です。長範はシテ、または後半のシテとして扱われます。
霊は出てきません。時間は前へ進む現在能です。
問いは、この構成そのものにあります。 名前を得る場面と、人を斬る場面が、なぜ続けて置かれているのでしょうか。
02 — EVIDENCE
史料は何を語らないか
史料から確認できること
義経の元服について、同時代の記録はありません。 奥州へ下ったこと自体も、同時代の史料からは直接確かめられません。
挙兵に加わった一一八〇年に奥州から駆けつけたと記録されていることから、 それ以前に北にいたことは推定できますが、経路も時期も分かりません。
軍記物語・文学
鏡の宿での元服と、続く赤坂での戦いは、物語の側にあります。 金売り吉次という同行者も、物語が用意した人物です。
03 — THE NAME
名を変えるということ
元服というのは、髪型を変え、冠や烏帽子をつけ、幼名を捨てて新しい名前を名のる儀式です。 中世では、成人の届け出であると同時に、身分の表明でもありました。
能楽・芸能による表現
この曲では、元服が逃亡の手段として行われます。 追手をかわすために姿を変える。その手段が、たまたま成人の儀式だったわけです。
烏帽子屋の夫婦が素性に気づいてしまうところも、皮肉が効いています。 正体を隠すために誂えた品が、正体を明かすことになるのですから。
順序を見ておきたいところです。
少年は名前を得ます。そしてその夜、人を斬ります。 「烏帽子折」の作者は、この二つを切り離さずに並べました。
「鞍馬天狗」で山の異形から力を授かり、 「烏帽子折」で名前を得て、その力を使います。 そして「橋弁慶」では、夜ごと人を斬る者として橋に立っています。
三曲を通して見ると、少年が英雄に育っていく話にはなっていません。 力を持ち、名前を持ち、人を斬る存在になっていく過程が、淡々と並べられているだけです。
04 — TWO PLAYS
同じ夜が、二つの曲に分かれている
赤坂の一夜は、もうひとつの曲でも扱われます。「熊坂」です。
ただしそちらでは、視点が逆になっています。 討たれた盗賊の霊が現れて、自分が負けた夜を語るのです。
- 討つ側から
- 討たれた側から
- 現在能 — いま起きている
- 夢幻能 — 霊が回想する
- 時間は前へ進む
- 時間は巻き戻る
- 少年が主役
- 盗賊が主役
これは能の時間の扱いがよく見える例です。
勝った側の話は、進行形で語られます。事件はいま起きています。 負けた側の話は、回想で語られます。すでに終わったことが、繰り返し思い出されます。
どちらが上ということではありません。 ただ、能は敗者に「もう一度語る機会」を用意する形式を持っていて、 勝者に対しては、それを用意しないのです。
この非対称は、このあと「八島」でさらにはっきりします。 そこでは、勝った義経自身が霊として現れて、苦しみながら語ることになります。
05 — SECOND STORY
熊坂長範は実在したのか
地域伝承・後世の伝説
熊坂長範が実在したことを示す同時代の史料は知られていません。 そのいっぽうで、彼にちなむ地名や伝承は各地にあります。
近世には「熊坂物」と呼べる一群の作品が作られて、盗賊の側を主人公にした語りが繰り返されました。
義経に討たれた側の人物が、独立した人気を持つようになります。
これは「判官贔屓」とは別の力学に思えます。 敗者に寄り添うというより、悪党の側の物語を面白がる感覚が、近世にははっきりあります。
どちらの感情がいつ強まったのかは、受容史として別に追う必要があります。 この記事では確かめきれていません。
PLACE
現地を歩く
鏡は、いまの滋賀県蒲生郡竜王町鏡にあたります。 JR野洲駅からバス。名神高速の竜王インターが近くにあります。
旧中山道沿いに、宿場だった地割が残っています。 元服の伝承地には碑と池があって、伝承であることは現地の案内にも書かれています。
ここで少年が髪を結い直したかどうかは分かりません。
ただ、京から東へ最初の山を越えたあたりに、この宿はあります。 「都を出た」と感じる最初の地点として選ばれたのだとすれば、位置としては納得がいきます。
歩いて回れる範囲は、そう広くありません。
いまの所在
蒲生郡竜王町鏡
行き方 — JR東海道本線・野洲駅からバス。名神高速の竜王インターが近くにあります。
旧中山道沿いに、宿場の面影が残っています。
歩いて見られるもの
- 鏡の宿の街道筋旧中山道です。宿場だった地割が残っています。
- 元服の伝承地元服にちなむ碑と池が伝わっています。伝承であることは、現地の案内にも記されています。
この案内は、地図・交通機関の公開情報・各施設の公表内容から構成しています。 編集部はまだ現地を歩いていません。したがって、坂のきつさ、風の強さ、 静けさといった体感は書いていません。取材したら、その旨をここに記します。
拝観・開館の時間や授与品の有無は変わります。出かける前に各施設の案内で確認してください。
ARCHIVE
史料・古絵図・図版
- 『義経記』巻二(元服と赤坂の段)室町時代前期頃
鏡の宿での元服と、続く盗賊との戦いが語られます。
所蔵 — 諸本あり
- 中山道の宿場に関する近世の絵図近世
鏡の宿の地割と街道の位置です。物語の舞台を地理として確かめるための資料になります。
所蔵 — 調査中
SAKE
旅のあとに一献
鏡は東山道の宿です。街道の宿には、かならず酒がありました。近江は米どころであり、京へ向かう物流の結節点でもあります。旅の途中で飲まれた酒の土地として読むのが、いちばん自然だと思います。
- つくり手
- 近江の蔵元
- 選ぶなら
- 純米・常温
- 水と味
- 鈴鹿山系の伏流水
PERFORMANCE
この物語を舞台で観る
いま掲載している公演予定のなかに、この曲はありません。
出典:能楽協会「協会員の出演する公演」/国立能楽堂(日本芸術文化振興会)(2026.09.29 22:42 取得)。会員や主催者からの掲載にもとづく情報で、全国の公演を網羅したものではありません。 日時・演目・出演は変更されることがあります。お出かけの前に主催者の案内で確かめてください。
SAME AXES
同じ軸で、ほかの曲を探す