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五条

GOJOごじょう

なぜ、五条大橋へ行っても能の五条橋がないのか。

五条橋を見に行こうとすると、最初に小さな混乱があります。いま五条大橋と呼ばれている橋は、中世の五条橋とは別の場所にあるからです。

いまの所在
京都市下京区(松原通・五条通の一帯)
旧国
山城
行き方
京阪電鉄・清水五条駅、または市営地下鉄・五条駅から徒歩すぐです。
座標
34.997°N 135.765°E
関連演目
橋弁慶

GEOGRAPHY

土地の条件

鴨川は、京の市街を南北に貫いて流れています。東西の大路がこの川を渡るところに橋が架かり、橋のたもとは自然に人の集まる場所になりました。

中世の橋は、いまの橋とは構造も規模も違います。増水のたびに流されて、そのつど架け直されました。恒久的な設備というより、繰り返し作られるものでした。

HISTORY

位置が動いたこと

CHRONICLE後世史料に記載出典 — 近世の都市改造に関する通説

後世の歴史記録

中世の五条大路は、いまの五条通ではなく、一本北の松原通にあたります。近世に橋の架かる位置が移されたため、かつての五条橋の位置は、いまの松原橋のあたりになります。

いまの五条大橋のたもとに立つ牛若と弁慶の像は、物語の舞台としてのちに選ばれた場所にあります。像が間違っているのではなく、場所の記憶のほうが移動したわけです。

CONTEXT

橋という場所

中世において、橋は境界でした。川は共同体を分け、橋はその上に架かります。どちらの側にも完全には属さない場所なので、市が立ち、勧進の僧が立ち、芸能者が集まりました。

説話や能のなかで、橋がしばしば異類との遭遇の場になるのは、そのためです。正体の分からない相手と出会う場として、橋はよくできています。

PLACE

歩く順序

松原橋に立って鴨川の川幅を見ます。そこから西へ入れば五条天神社があり、能で弁慶が参詣しようとする社はここです。最後に、いまの五条大橋へ下りて像を見ます。

歩いて十数分の範囲に、中世の地理と、能の設定と、近代に定着した図像が重なっています。三つを同じ順序で見ると、層のずれがそのまま体験になります。

PLACE

現地を歩く

いまの所在

京都市下京区(松原通・五条通の一帯)

行き方 — 京阪電鉄・清水五条駅、または市営地下鉄・五条駅から徒歩すぐです。

いま「五条大橋」と呼ばれている橋は五条通にあり、中世の五条橋の位置とは違います。松原橋のほうが、かつての五条橋の位置にあたります。

歩いて見られるもの

  • 松原橋中世の五条大路が鴨川を渡っていた位置です。物語の舞台にもっとも近いのは、この橋になります。
  • 五條天神宮(五条天神社)能「橋弁慶」で弁慶が参詣しようとする社です。松原通沿い、下京区西洞院にあります。
  • 五条大橋の牛若丸・弁慶像いまの五条大橋のたもとです。近代に定着した「橋の上の一騎打ち」の図像を、立体にしたものです。

授かれるもの・持ち帰れるもの

  • 五條天神宮の授与品社頭で御朱印や御守を授与しています。宝船の版画など、この社に由来するものもあります。
  • 能楽堂の売店京都には金剛能楽堂と京都観世会館があり、公演日には扇や謡本、手ぬぐいなどが並ぶことがあります。
FIELDWORK — 現地取材:未

この案内は、地図・交通機関の公開情報・各施設の公表内容から構成しています。 編集部はまだ現地を歩いていません。したがって、坂のきつさ、風の強さ、 静けさといった体感は書いていません。取材したら、その旨をここに記します。

拝観・開館の時間や授与品の有無は変わります。出かける前に各施設の案内で確認してください。

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旅程のなかの位置
100 km五条GOJOいまの 京都市下京区(松原通・五条通の一帯)

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